ジェルドン・アデルソン氏(ラスベガス・サンズ会長兼CEO)の経歴と資産、年収!学ぶべき成功法!


現在億万長者として名を連ねている人の中には、若い時から身を粉にして働きそして巨万の富を得た経歴を持つ人も少なくありません。

ジェルドン・アデルソン氏もそんな大富豪の一人ですが、彼はどんな風に現在の年収や資産を築いたのか詳しく考えてみましょう。

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10代から新聞記者として働いていたジェルドン・アデルソン氏の経歴とは

カジノリゾート会社であるラスベガス・サンズの会長兼CEOであり、慈善家や投資家としても有名なジェルドン・アデルソン氏はマサチューセッツ州のボストン生まれで、彼の両親やユダヤ系ウクライナ人であり彼が生まれた地域はボストンの中でも貧しい地域だったとされています。

12歳の時にはすでに新聞記者として働いており、その後起業して日用品や洗面器具、自動販売機の販売や新聞広告の販売、キャンディの販売機のビジネスなどを様々な職種を転々とした後に16歳の時に一度軍隊に入隊します。

軍隊退役後はウォールストリートにある職業訓練学校に通ってそこで裁判所の記録係となった後、ウォールストリートで働いた後には不動産のブローカやーアドバイザーとして活躍しまず初めに最初の富を築くことになるのです。

一時期は上昇していた彼の資産も、株の暴落やコンドミニアムなどへの投資ビジネスが失敗して彼の築いた資産や水の泡と化してしまいますが、その失敗にもめげずに生計を立てようと手始めにコンピュータ雑誌の会社を買収して1979年にはCOMDEXという会社を立ち上げ、ネバダ州ラスベガスのリゾートホテルの一つであるMGMグランドホテルでショーを始めてそれとともにコンピュータ関連の展示会を共同主催することで、また彼は巨万の富を得ることとなるのです。

ジェルドン・アデルソン氏は、その他にも、ラスベガスの中でも最も高級なホテルとされているベネチアンホテルなどを含むベネチアン・リゾートやンズ・エキスポ・コンベンションセンターなどの最高責任者としての顔もあるとされていますが、これは彼の最愛の妻であるミリアン夫人と出会った際に新婚旅行に行ったベニスでの生活に影響を受け、ラスベガスに行ったことのある人ならだれもが知っている高級ホテルである「ベネチアン」の創設のきっかけとなったとされており、またこのホテルでの成功が彼の億万長者としての地位をゆるぎないものにしたとされています。

カジノリゾートの会長であるジェルドン・アデルソン氏の年収や資産とは?

このように、カジノリゾートラスベガス・サンズやベネチアンホテルの経営など様々な会社のトップであるジェルドン・アデルソン氏の年収や資産はどのくらいなのか、またどれだけ稼いでいるのか見当もつかない人もいることでしょう。

では、実際に年収や資産はどのくらいなのかというと、2015年の時点での総資産額は320億ドル、日本円に換算すると約3兆5000億円とされています。

リゾートやカジノの経営をしているのですから、かなりの純資産もあると思われますがそれでもForbesの世界長者番付においてはFacebookの創始者であるマーク・ザッカーバーグ氏の順位よりも下の12位とされているようです。

世界にはジェルドン・アデルソン氏にも及ばないくらい信じられないほどお金を稼いでいる人が11人もいるというわけです。

決して裕福な家庭ではなかったジェルドン・アデルソン氏に学ぶ成功法の秘訣は

億万長者の中には、すでに親が成功して非常に裕福な家庭で育った人もいれば、ジェルドン・アデルソン氏のように貧しい地域で生まれてもその逆境に負けることなく巨万の富を得られるようになった人も数多く存在します。

ということは、つまり生まれた環境が裕福でなくても億万長者になる可能性は無限にあるということになります。

彼は幼いころから働き者であり、起業精神が高かったことから様々な企業を立ててはそれを成功させていたことを考えると、生まれや育ちに関係なく自身がどのように働くかあるいは野望がどこまであるかということが結果的に億万長者になれるかなれないかの境界線と言えるのかもしれません。

もし、ジェルドン・アデルソン氏が生まれた環境に満足せずそこで腐っていたとしたら現在のような巨額のお金を得ることはできなかったでしょう。

彼の言葉に「起業家はリスクを取ることを恐れない」という名言がありますが、何かを始めるときは誰だってリスクを考えて躊躇してしまうことが多いとされています。

しかし、もしそこで失敗しても立ち上がり何かを成功させるまで決してあきらめない精神を持つことが億万長者になる秘訣と言えるのではないでしょうか。