レオナルド・デル・ヴェッキオ氏(ルックスオルティカ創業者)の経歴と資産、年収!学ぶべき成功法!


生まれが貧しく苦労したにもかかわらず最終的に億万長者となる夢を叶えたビリオネアは存在するとされていますが、レオナルド・デル・ヴェッキオ氏もその一人です。

彼がどのような経歴を辿って現在の年収や資産を手に入れていったのか、興味がある人は多いのではないでしょうか。

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孤児院育ちだったレオナルド・デル・ヴェッキオ氏の経歴とは

1935年にミランでレオナルド・デル・ヴェッキオ氏が生まれる5か月前には、すでに父親は他界しており、経済的に彼を育てることができなくなった母親は彼を孤児院に預けることにしますが、その時彼はまだ7歳だったとされています。

そして、14歳になるころには働きに出なくてはならなくなり、まずミランにある工具と染料製造者のところに奉公に出ることになりますが、そこで担当したのが自動車とメガネの部品でありこれが彼にとって運命を分ける出会いだったのです。

彼はメガネに非常に興味を持ち、その後部品だけに限らずメガネのフレームもデザインしたいと考えて仕事を終えてから夜間学校で産業デザインの勉強を始めるのです。

1961年の25歳の時に、メガネの一大産地であったとされるイタリア北東部にあるアゴルドというところで会社を立ち上げます。

会社を立ち上げた当初は、ただ下請けを引き受ける会社にすぎませんでしたが、レオナルド・デル・ヴェッキオ氏はその間にもデザインや機能性などの技術についてコツコツと磨きをかけて、ついに1971年に開かれた見本市によってその努力が報われ、彼が作ったメガネは評判を呼びついにはただの下請け会社からメガネフレームメーカーへの成長を遂げることになるのです。

小さな成功で満足していなかったレオナルド・デル・ヴェッキオ氏は、まずは他会社の買収を始めてさらに巨大企業へと拡大を勧進めます。

特に、メガネがただ近眼の人がかけるためのものではなくファッションの一部として需要されることを見越したレオナルド・デル・ヴェッキオ氏は、1988年にはジョルジオアルマーニのライセンスを取得し徹底的にデザイン性を追求するようになります。

今や世界的に有名なメガネフレームメーカーとしてさらなる拡大を続けているルックスオティカですが、今後もレオナルド・デル・ヴェッキオ氏のさらなる活躍は続くことが予測されるでしょう。

どのくらいの億万長者に?レオナルド・デル・ヴェッキオ氏の年収と資産とは

幼い頃に孤児院に預けられて苦労しつつも自分のあるべき道を見つけることができたレオナルド・デル・ヴェッキオ氏ですが、会社を立ち上げて自身のブランドを世界的なものにした今、年収や資産はどのくらい稼いでいるのか気になるところではないでしょうか。

レオナルド・デル・ヴェッキオ氏の資産は204億ドルとされており、日本円に換算すると2兆4000億円とされています。

もし、彼が普通の家庭で過ごしていたとしたらメガネのフレームを製作する出会いには恵まれなかったことを思うと、人生というのはどこでどんな出会いが待っているのかわからないと言えるでしょう。

貧しくて大学に行けなくても諦めなかったレオナルド・デル・ヴェッキオ氏に学ぶ成功法とは

人は、生まれながらに平等とは言われていますが、実は本当はそうではなく貧しい家庭に生まれればお金の面で学業を諦めて苦労することもありますが、親が裕福であれば大学に通うのは当たり前と考える人も多いでしょう。

子供は、生まれてくる環境を選ぶことはできないため、裕福かそうでないかによって将来お金に困るか困らない人生かどうかが決まってしまうというのは非常に寂しいことと言えます。

ただ、レオナルド・デル・ヴェッキオ氏のように、生まれた環境が貧しかったとしてもそれに負けることなく億万長者の道を歩む人もいるのです。

彼が幸運だったのは、もちろん様々な良い出会いや運があったことも言えますがメガネのフレーム作りという何より大好きなものを見つけたことが大きいのではないでしょうか。

好きなことを始めたら何もかも忘れてそれに打ち込むことで、やがてその努力が実って結果として返ってくることもあるのです。

お金持ちになりたいから仕事をするよりも、何か夢中になれることを見つけてその道で成功するように自分を高めていくことが、結果的に億万長者になれるかどうかの境界線なのかもしれません