億万長者と言ったらアメリカやヨーロッパ県の人ばかりなのかと言ったらそんなことはありません。
香港最大の企業集団である長江集団の創設者であり会長でもある李嘉誠氏も億万長者の一人だとされていますが、彼がどのようにして現在の資産や年収を築いていったのか興味はないでしょうか。
戦争に翻弄された幼少期を過ごした李嘉誠氏の経歴とは?
1928年に中華民国の広東省潮州に生まれた李嘉誠氏は、日中戦争の戦火から逃れるために1940年に当時イギリスの植民地であった香港に移住します。
その後太平洋戦争が勃発して香港も日本の支配下に置かれるようになる頃には父親も亡くなってしまったことから中学卒業後に高校に進学したもののそれを断念してセールスマンとなり家計を支えることになるのです。
1949年に、プラスティックの工場を作って造花を販売するようになると「ホンコンフラワー」として大当たりしたことからそこで得た資金を元手に不動産業へと転身します。
長江実業有限公司を設立して、香港でも有数の不動産ディベロッパーとなるのです。
香港や中華民国を拠点とする和記黄埔や、日本で言うところの東京電力のように香港島の電力供給を独占していた香港電灯を買収するなどして徐々に規模を拡大してゆき、天安門事件が発生して中華民国に逃げ込んだ際には、避難したことを逆手にとって中華人民共和国への投資を拡大しながら香港最大の企業集団として発展していくのです。
李嘉誠氏の年収や資産について
中卒でありながら大企業を率いる会長へと登りつめた李嘉誠氏ですが、年収や資産はどのくらいあるのか気になるところではないでしょうか。
2013年のForbesの世界番付によると、総資産は310億ドルとされており日本円においては3兆円越えとされています。
華人としては最大のお金持ちであるとされており、投資家としても有名です。
appleに買収される前のsariやスカイプ、Facebookなど様々な企業に投資を行っているほか、2011年には文章を400文字に要約するアプリである「Trimit」を開発したわずか15歳の高校生にも投資を行っています。
また、慈善家としては自分の故郷である潮周の知覚に690億円も資産を投じて汕頭大学を設立したり総資産8300億円の財団を作り社会貢献をしているなど多方面に影響を及ぼしています。
幼少期の逆境をばねに大きく成長した李嘉誠氏に学ぶ成功法の秘訣とは
幼少期から少年時代にかけては戦争の影響によって思うように勉学に励むことができなかった李嘉誠氏でしたが、類まれなビジネスの才能が開花したことから億万長者への道を歩むようになりました。
戦争によって学業を諦めた経験を持つ李嘉誠氏は、1989年に天安門事件が発生した際にはそれを逆に利用して中国において自分の企業を拡大していくようになることからも分かるように、逆境にめげずに常に次のことを考えながら世の中を見極めていくことが結果的に億万長者への道を掴むきっかけとなるのかもしれません。
マカオのカジノ王や、中華人民共和国の指導者とも深いつながりがあるなとされており、わずか17歳で8700ドルを元手に工場を始めた李嘉誠氏はたった一代でこれだけの資産を築くことができたのも、逆境に負けない精神があったからではないでしょうか。