ケビン・デュラント氏(バスケットボール選手)の経歴や資産、年収!学ぶべき成功法!


マイケル・ジョーダンやコービー・ブライアントなど、名だたる世界的なバスケットボール選手は多いとされていますが、バスケットボールにおいて巨額の富を得ている選手はほんの一握りと言えるでしょう。

ケビン・デュラント氏も、バスケットボール選手として巨額の年収や資産を稼いでいる選手の一人ですが、彼がどのようにしてそれらの資産や年収を築いたのかご存知でしょうか。

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NBAのトッププレイヤーであるケビン・デュラント氏の経歴とは?

ケビン・デュラント氏はアメリカのワシントンD.C出身のバスケットボール選手で、兄のトニーとともにメリーランド州のプレザントというところで育ちます。

マイケル・ジョーダンが晩年に所属していたワシントン・ウィザーズを含むプロスポーツチームを兄とともに応援し、後にジョーダンの名を冠した高校トーナメント大会において、大会MVPを獲得しているとされています。

彼は地元のバスケットボールチームであるアマチュア・アスレチック・ユニオンにおいてめきめきと頭角を現し、彼のバスケットキャリアの出発点となったAAUのプリンス・ジョージ・ジャガーズでは、のちにNBA選手となるマイケル・ビーズリー氏やクリス・ブラスウェル氏なども所属していたそうです。

ジャガーズが2003年に解散するとケビン・デュラント氏はDCブルーデビルズに移ることとなりますが、彼の才能を見出したAAUのコーチであるタラス・ブラウン氏は彼に一日8時間の個人訓練を課すようにしますがこの訓練のおかげで彼のバスケットボールの才能はさらなる進化を遂げ花開くようになったのです。

高校に進学して3年生に進級する際には全米有数のバスケットの名門校であるオークヒル・アカデミー高校に転入し以前のチームメイトであったタイ・ローソン氏と再びプレイをするも4年に進級の際には今度はモントロス・クリスチャン高校に再度転入しそこでも自身の成績を上げるようになります。

大学は、彼を熱心に勧誘したテキサス大学に進学し、そこでもさらに才能を開花させテキサス大学のロングホーンズを率いるようになったケビン・デュラント氏はカンファレンストーナメントにおいて決勝に進出するものの逆転を狙った彼が最後のゴールを逃してしまったことから対戦相手のカンザス大学に優勝を譲ってしまうことになります。

テキサス大学で1年ほど過ごし、2007年のNBAドラフトにおいては2位指名でシアトルスーパーソニックスに入団が決まり、入団後にはあのナイキと7年間で6000万ドルの契約を結ぶことになりますが、この数字はレブロン・ジェームズ氏に次ぐ歴代2位の数字となったとされています。

彼が入団したスーパーソニックスはチームのオーナーが変わって拠点を変更する計画があったり成績もいまいちパッとしない状態ではありましたが、ケビン・デュラント氏という金の卵を得たシアトルスーパーソニックスは彼を中心に生まれ変わり、ケビン・デュラント氏自身もこのチームにおいてNBA公式戦デビューを飾ります。

しかし、チームは負けに負けを重ねカンファレンス最下位の20勝62敗を記録してしまいますが、そんな中でケビン・デュラント氏がルーキー・オブ・ザーイヤーを受賞したことがシアトルスーパーソニックスとして最後の明るい話題となり、前オーナーやシアトル市との和解が成立したことを機にオクラホマシティ・サンダーに生まれ変わります。

その後もチームとしては試行錯誤しながら個人成績としては21歳と197日で史上最年少で得点王になったり、これまた史上最年少で三年連続得点王になるなど数々の成績を残したのですが、悲願のNBAチャンピオンを目指すために古巣であるサンダーから、2016年にゴールデンステート・ウォーリアーズと2年5430万ドルの契約を結びと移籍しますが、これは批判を受けたとされています。

ケビン・デュラント氏の年収や資産はどのくらいあるのか

このように、バスケットボール業界において様々な経歴を残しているケビン・デュラント氏は、年収や資産はどのくらい所有しているのか気になるところと言えるでしょう。

ケビン・デュラント氏のバスケットボールにおいての年棒は2020万ドル、約22億円とされておりそれに広告契約料、つまりスポンサー収入が3600万ドル(約38億円)、つまりそれをすべて合わせると年収は5620万ドル、日本円に換算して約60億円とされています。

2016年のForbesにおいて、「世界で最も稼いでいるスポーツ選手ランキングトップ100」の中でも、ケビン・デュラント氏はレブロン・ジェームズ氏に次いで第5位にランクインしており、世界のトッププレイヤーとしても億万長者としても名だたる人と言えるでしょう。

悲願の夢をかなえるために古巣を去ったケビン・デュラント氏に学びたい成功法の秘訣について

現在、古巣であるオクラホマシティ・サンダーを捨て、ゴールデンステート・ウォーリアーズに移籍しプレイしているケビン・デュラント氏ですが、中には「優勝するのに簡単な方法を取った」と厳しく批判されることもあったようです。

しかし、彼にとってNBAチャンピオンになることは何よりも重要な悲願であり、「パンチを受けてでも前に進まないと、と思った」という彼の発言からも分かるようにある程度の批判は予測していたのかもしれません。

それこそ10代のころからバスケットボール一筋でここまで進んできた彼にとって、ただ個人で賞を受賞するのではなくチームで優勝を経験することこそが、何よりも大きな目標なのかもしれません。

ケビン・デュラント氏に限らずトップアスリートが一般的な億万長者と違うところは、あくまで年収や資産はあとからついて回ったものであり、彼が最も欲しいものはお金ではなくチームでの優勝という悲願なのだと言えるでしょう。

果たして念願のNBAチャンピオンの夢は叶えられるのか、今後の彼の活躍にも期待したいところと言えます。