マイクロソフト創始者のビル・ゲイツ氏の天敵としても有名であるラリー・エリソン氏は、アメリカのプログラマーでありオラクル社の社長です。
彼がいかにして現在の地位を築き、資産や年収を増やしていったのか学ぶべき成功法などについて考察してみましょう。
恵まれなかった子供時代から一躍大富豪となったラリー・エリソン氏の経歴とは?
1944年にニューヨークのマンハッタンイーストサイドに生まれたラリーエリクソン氏は、19歳という若い母親の下で生まれ9か月の頃に肺炎を患ったことがきっかけで親戚の家に養子として預けられます。
養子先の養父母のことを本当の両親として12歳まで知らずに育ちますが、少年時代は負けん気で気の強いラリー・エリソン氏と養父はたびたび衝突することがあったようです。
しかし、幼いころから数学と科学に秀でており、シカゴのイリノイ大学に入学した後に科学部門において年間の最優秀生徒として表彰を受けるほど非常に優秀であったとされています。
ただ、在学中に養母がな亡くなってしまうとふさぎ込んでしまいイリノイ大学を中退するほどまでナイーブな一面もあったようで、今度はシカゴ大学に再入学するものの、ここで得た知識は十分だとでも言うように養父の説得もむなしくシカゴ大学も中退します。
シカゴ大学で得た知識をもとにプログラマーとして働き、その後もウェルスファーゴ銀行や消防署のシステム部など、いくつかの企業を転々としていくうちに彼がアマンダル・コーポレーションでプログラマーとして働いていた時についにIBMのメインフレームシステムの構築に携わる仕事に就き、1977年にはついにその当時の二人の同僚とともに「ソフトウェア開発研究所」(Software Development Laboratories)を設立します。
1980年にはわずか8人の従業員の年商も1億円ほどだったのが、IBMがオラクルをメインフレームシステムに採用したことをきっかけに徐々に収入が増えてきたことから会社名をオラクル社に改名します。
会社を改名し新たに生まれ変わったものの経営が破産寸前のところまで行くなど決して順風満帆の道のりではなかったようですが、結果的にはオラクル社をデータ管理を行うソフトウェア業界の中でもトップクラスの地位を確立するまでに成長させたのです。
お金の使い方が派手で有名なラリー・エリソン氏の資産や年収は?
ラリー・エリソン氏が設立したオラクル社は、ソフトウェア会社としてはマイクロソフト社に続く第2位の実績を誇るとされていますが、認知府度が低い理由としては法人や公的機関が主な顧客でありそれらのビジネス用途に特化したソフトウェア会社だからかもしれません。
では、ラリー・エリソン氏の資産や年収はどのくらいのものなのでしょうか。
現在はオラクル社のCEOを退任し会長兼CTO(最高技術責任者)として技術開発や事業戦略、製品エンジニアリングに携わっていますが2016年の世界長者番付においては資産額436億ドル(4兆8,614億円)となり第7位に躍り出ますが、その後Facebook創始者のマック・ザッカーバーグ氏やAmazon創始者のジェフ・ベゾス氏を抜いて第5位にまで上昇し、テック業界においてはビル・ゲイツに続く第2位のランクにまで躍り出たとされています。
ZARA創始者のアマンシオ・オルテガ氏や世界的投資家であるウォーレン・バフェット氏は、億万長者の割には質素な生活を送っていることで知られています。
お金の使い道は非常に豪快だとされるラリー・エリソン氏はプライベートジェットの所有やハワイのラナイ島の買収やその島に行くための航空会社まで買収するなどいかにもお金持ちらしい使い方をしているところが、ほかの億万長者たちと比較すると特徴的だと言えるでしょう。
ラリー・エリソン氏に学ぶ成功法の秘訣とは?
幼い日のラリー・エリソン氏は、大切に育ててくれた養父母が実の両親ではないことを知り不安定な少年時代を送るものの、その逆境にも負けずに様々な仕事や経験を経てついには億万長者の道を歩んでいきます。
「32歳までは成功したことが何一つなかった」語るラリー・エリソン氏ですが、どんな窮地に陥っても絶対に諦めずにその道を究める姿勢があったからこそ現在の地位や資産を築けたのではないかと思われます。
子供は親や生まれた当時の環境を自分で選ぶことはできませんが、生まれた後にどう生きるかは自分で決めることができます。
自分は親に満足に育てられなかったと嘆いて一生を送るよりも、そのことをばねに過去を振り返らず前を向いて成功する人生の方が自分のためだけでなく果ては世界のあらゆる人々のためにもより良い事だった言えるのが彼の人生観なのではないでしょうか。