王健林氏(大連万達集団)経歴と資産、年収!学ぶべき成功法!


アジア圏において数多くの企業を持ち、億万長者として君臨する人は多いとされていますが王健林氏もそんな大富豪の一人とされています。

彼はどのような経歴によって現在の年収や資産を築いていったのか、詳しく考えてみましょう。

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中国一のお金持ち、王健林氏の経歴とは?

大連万達集団と言えば、13億人を抱える中国市場で数多くの商業施設開発を手掛けている会社ですが、王健林氏はそんな大型商業施設開発の先駆けともいえる人物です。

王健林氏は、建設省林業局に勤める父親の下に1954年に中国四川省で生まれますが、王健林氏が4歳の時四川省林業庁の指示によって原始林が生い茂る山の中に移り住み、そこで14年ほど生活していくことになります。

1950年代は人々の生活も貧しく餓死者が出るほどの状況だったとされていますが、山の中に移り住んでから彼の母親が畑を作りウサギを飼うなどして家族が困らないように生活したために飢え死にすることなく生活していくことができたとされています。

5人兄弟の長男であった王健林氏は、忙しい両親に変わり兄弟たちの面倒を見ていくうちに自然とリーダーシップ精神が養われていきますが、彼の子供時代の友人には規則を守るのが苦手なわんぱく少年であったと語られています。

中学に進学しますが、その頃林業局からの人員募集があったために彼は学校を辞めて植樹のために土を掘ってまた樹木を伐採してそれを炭にするという人々が嫌がる仕事を1年間コツコツを続け、彼の父親が軍経験者であった影響から軍隊に入ることを志望し身体が小さかった王健林氏は偵察隊に入ったもののその後昇進し大連陸軍学院へと進みます。

成績優秀だった王健林氏は学校に留まり最終的には管理副所長まで昇進しますが、起業することを目的に辞職した後、日本で言う区役所副所長である大連市西岡区の副主任となりますが、政府の足元に属していた大連市西岡区住宅開発会社が破産の危機に面していることを機にこの会社の立て直しに一役買い、1991年に国営企業民営化策の中でこの会社が選ばれるとそれを買って出て、民営化企業となった大連万*[地産集団公司は不動産業として安定していくのです。

しかし、不動産業の好景気は30~40年で飽和状態となることを見越した王健林氏は、今度は不動産業から現在の商業施設開発の仕事へと方向転換していくようになり、順調に企業を拡大することに成功し結果的に巨万の富を得ることになったとされています。

王健林氏の年収や資産はどのくらい?

このように様々な転職を行いつつその道で成功してきた王健林氏ですが、その年収や資産はどのくらいなのか気になるところではないでしょうか。

中国一の大金持ちとされ大連万達集団を率いる王健林氏の資産は287億ドルとされており、2016年の長者番付において第18位とされています。

また、中国で初めて2018年~2030年までのサッカーワールドカップの4大会をFIFA国際サッカー連盟のオフィシャル・パートナーとして支援をすることを発表しています。

留まることを知らない王健林氏に学ぶ成功法の秘訣とは

幼い兄弟の面倒を見ることでリーダーシップ精神を培い、中学を途中で中退しその後軍人として、または不動産業を経営することになったり最終的には商業施設開発に携わり今や大型ショッピングセンターを始め五つ星ホテルや映画館、レストラン街や歩行者天国を含む複合施設を開発し展開するまでになった王健林氏ですが、彼が億万長者になった秘訣として考えられるのは、普通の人ならそこで安定してしまう場所でさらなる挑戦をしようと考えたことではないでしょうか。

現状に甘んじることなくそしてここぞというチャンス見逃さず勝負できるだけの強い精神を持ち合わせているのは、彼のこれまでの経験や培ってきたことによるものと、その都度何度もその世界において勝負をしてきたからこそ培われた精神なのかもしれません。

そして、そんな精神こそがまさに億万長者になることができた秘訣なのではないでしょうか。

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